著者について

2019年11月17日

ご挨拶

こんにちは、人おこし事務局長の能登です。

岡山北端の山村で、築200年の古民家に家族4人で暮らしながら、「人おこしシェアハウス」を運営しています。

プロフィールは、こんな感じ。↓


能登 大次 |人おこし事務局長

  • 生年:1974年
  • 出身:仙台市
  • 経歴:高校教師(仙台)→専門学生(金沢)→大学院生(オランダ)→デザイナー(東京)→地域おこし協力隊(美作市)→現職
  • 家族:妻、娘2人

「え?仙台の人がなんで岡山?」「教師?デザイナー?地域おこし?」

もう意味不明な経歴ですよね。笑

全部解説すると、それはそれは長いストーリになりますので、笑 少しだけ・・・デザイナー時代あたりまで遡ってみようかなと思います。

 

来歴①|デザイナー時代

当時私は東京に住んでいまして、妻と二人で「デザイナーデュオ能登夫妻」と名乗り、雑貨のデザインを生業にしていました。

2005年に初めて売り出したTシャツのブランドがなんだかそこそこうまく行きまして、とんとん拍子に取引先が決まって、東京、ニューヨーク、ロンドン、など海外の展示会にも次々に出展し、それなりの成功をおさめていたのです。

美味しいものも食べれるし、仕事がてら海外旅行もできちゃうし、楽しい日々だったはずなんですけど、でも・・・なぜか「満足」とか「幸福」って思えなかったんです。

ただの無い物ねだりだったのかもしれません。

でも、なんとなく感じていたのは「これって、ただお金を稼いで、それを使ってる、だけじゃない??」という漠然とした違和感でした。

いやそれで十分でしょ、、って話ですよね。笑

実際私自身、それ以上の何を求めているのかはわかっていませんでした。

でも、とにかく「もう次のレベルに行きたい!」っていう欲求だけがどんどんふくらんできていたんです。

そのタイミングで子供ができ、そして・・・311がやってきたのです。

 

来歴②|311〜岡山へ

もちろん関東ですから「被災」した訳ではありません。

でも、仕事にも生活にも違和感を募らせていた私たちに、方向転換を決意させるには十分な「きっかけ」でした。

2011年夏、縁もゆかりも知人もない岡山へ移住、美作市地域おこし協力隊に就任してさらに山奥の限界集落へ。

そして現在の山村エンタープライズを一緒に立ち上げることになる仲間たち(代表の藤井、副代表で義理の弟の赤星)との出会いがあって、、そしてそして・・・「人おこしプロジェクト」始動!!へと至ります。

最後めっちゃはしょりましたけど、笑 そういう経緯でいま、わたしは、「人おこし事務局長」をしております。

*人おこしプロジェクト立ち上げの経緯については、人おこしのウェブサイトをご参照ください!

 

いま、わたし

そして、いま、わたし、どうかと言いますと・・・とても幸せです。

最高の家族と一緒に、信頼できる仲間たちと一緒に、微力ながらもこの社会の役に立てている、というこの充実感。

デザイナー時代に漠然と感じていた違和感や満たされない感じ、その答えは、これだったのかなと、今は思います。

 

実は、人おこしに参加している若者たちからもよく聞きます。

自分のことはうまくできないんだけど、なぜか、人のためだとやる気になるんです。

もしかしたらこれって、わたしたちの心の奥底にある、本質的な欲求なんじゃないでしょうか。

だとしたら、なんか世界は平和になりそうじゃないですか?(急に話が大きくなりますが。笑)

この世界の行く末について悲観的な言説も多いですけど、人が本来人を助けることに喜びを感じる生き物なのだとしたら、なんだかんだあったとしても最終的にはみんな幸せになるんちゃうかなと。笑

楽観的すぎるでしょうか?

とまあ大きな話はさておき・・・

 

今日も今日とて、「人おこし

目の前の、自分のやれることに全力投球いたします!!

とりとめのない自己紹介でしたが、「このブログを書いている人おこしの事務局長さんってこんな人なのね。」って少しはイメージしていただけたら幸いです。